求来里喜平の里について

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求来里喜平の里は足立 栄子さんと森 スミ子さんが建立した慈悲観音像ががある場所です。農民一揆で処刑された求来里喜平を祀った観音像は、春になると桜の木に囲まれながら訪れた方を見守っています。

そんな、皆様の観光名所として知られるようになった求来里喜平の里は完成に至るまで、二人のたくさんの想いが詰まった場所でもあります。桜の見ごろになると多い日で1日300人が訪れるほどです。訪れた方は「観音桜」と親しみを込めて呼びます。

これからも、多くの方に訪れて頂き求来里喜平の里にまつわる話を知って頂けますと幸いです。日田に訪れた際はお気軽にお越しくださいませ。

足立 栄子さんと森野 スミ子さんの出会い

森野さんは農民一揆で処刑された求来里喜平の子孫で、足立 栄子さんは求来里喜平の生家近くの求来里地区で生まれました。二人が出会ったのは1985年頃だったといいます。

森野さんは日田を離れ静岡県でホテル経営を、足立さんは大分県日田市で農業を営んでいました。ある日、森野さんが故郷を懐かしんで日田を訪れた時に足立さんと出会いました。森野さんも足立さんも幼いころに戦争で父親を亡くしていることや共通点が多く、打ち解けるまでにそう時間はかからず、自然と心が通いはじめました。その中に、凶作と重税にあえぐ農民たちを助けようと立ち上がった求来里喜平の話もあり、二人は観音像を建てて供養することにしました。

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慈悲観音ができるまで

二人は何度も手紙をやり取りし、時には静岡と日田を行き来して若いこころの苦労や日田の想いでを語り合っていました。

その中に求来里喜平の話もあり、求来里喜平の子孫でもある森野さんが足立さんへ観音像を建てて供養したいと相談を持ち掛けました。その話を聞いた足立さんは、何度も地元の古老に求来里喜平の話を聞いていたこともあり、求来里喜平の話を後世に残したいと快諾しました。

1992年2月27日、求来里喜平の命日に合わせて足立さんの所有する畑に観音像と石碑を建てました。

求来里喜平の里について

森野さんと足立さんと求来里喜平の里

慈悲観音が建立された1992年から3年後、癌を患っていた森野さんから河津桜の苗木が送ってきました。観音像のそばに植えてほしいという想いを受け、足立さんは慈悲観音を囲むように桜を植えました。森野さんは他界する直前まで「日田へ行きたい」と繰り返していたといいます。

託された桜は3本が残り、今も観音像を見守るように枝を広げています。見ごろになると多い日で1日に300人が訪れ、親しみを込めて「観音桜」と呼ばれるようになりました。

求来里喜平の里が完成して多くの方に訪れて頂きました。これからも、多くの方に求来里喜平の話が届くことを夢見ています。

求来里喜平の里について

農民一揆「日田県竹槍騒動」について

日田県竹槍騒動は1870(明治3)年、凶作や維新後の混乱から農民が明治政府への不満を爆発させた一揆。約2万人が決起し、260軒以上の民家が破壊されたとされる。3日で鎮圧され、約3か月後に石工の求来里喜平(本名・足立 喜平)を含む首謀者5人が処刑された。

名称 求来里喜平の里
運営会社 足立農園(チーム足立)
代表 足立 忠雄
所在地 〒877-0021
大分県日田市求町920
電話番号 0973-22-6351
TEL/FAX 0973-22-6351
事業内容 農業(スイカ、白菜の栽培)
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